他愛のないひとりごと

昨夜の月は満月ではなかったものの、とても明るく美しかった。

オリオン座を見ると、思い出す風景がある。

ひときわ明るいあの星は一番星だろうか。

とベランダで少しの間寒空を楽しんでいた。
(と書くと格好良いが洗濯物を干していただけである、夜洗濯派なので)



そうだ、子どもがもう少し大きくなったら一緒に夜空を見上げよう。

もし望んだらがんばって天体望遠鏡を買ってあげよう。

うちは夫がテレビ大好き人間なので、子どもの目への影響が心配である。

でもきっと夜空や青空が好きになれば視力は保たれるのではないだろうか、

などとぼんやり考える(自分も視力が悪く、レーシックで回復)。


昨夜、若い親族が病気で他界した。

40代後半で独身。

子に先立たれてしまいおばは大丈夫だろうか。

と思いつつも、30年も会っていない親戚。

なんとなく輪郭がぼやけてしまっている感覚は否めない。


会っていないとはいえ身近な人が他界して

哀しみに暮れる人がいるというのに

空は青く、日差しは暖かく、自分の子どもはすやすやと気持ち良さそうに昼寝をしている。

人が亡くなったところで、日常は変わらない。

その人の意識は最期まではっきりしていたらしい。

いったいどんな思いでそのときを迎えたのだろう、本人も家族も。


むかし、小学生だった頃に飼っていた犬が死んでしまい、

『星になったチロ』という作文を書いたことを思い出した。

人間は進化し、スポーツの世界記録を更新する人も賢者も世にはたくさんいるけれど

不死身の人間はこの世にはいないんだよね。

ヒトゲノムをいじれば不死身の人間はつくれる、みたいな記事を

むかし新聞で読んだことがあるけれどたぶん20年くらい前だったような気がする。
(もしかしたら知らないところで不死身の人間がつくられているかもしれないが)


さいわいにも、今死んでも後悔はないなと思っていたけれど、とんでもない話だ。

せっかく(今のところ)健康に授かったこの命は末永く大事にしなくては。

そして先々子どもに看取ってもらえたら最高の人生なのかもしれない。